2015/12/05 Category : 日々 20151130によせて 水木先生がお亡くなりになられた。出版物を通して価値観を変えられ、その後の生き方にも影響を与えてくださった方と同じ時間を生きていたのは幸運なことだ。60以上年が離れている方で、見送る側になることは何となく想像していたのだけど、いざとなるとまだ早いんじゃないかって気がしてしまった。私の中では百歳まで生きて、まだ街中をふらりと散歩しているイメージ、だったんだ。ツイッターで訃報が流れた時やっぱり不思議な感じで「えっ?あー。あれ?」と動揺してニュースやツイートを手繰るうちに、ラバウルからの復員船が除籍された日に亡くなった旨を知って妙に腑に落ちてしまって泣いた。ご本人からしたら他にも何かしらのつながりがある日かもしれないけれど。渡っていかれたんだと、そんな物語が頭の中を流れる。それでも、ひょいとこちらに帰ってくるような気もしている。そう思わせてくれる方だった。さみしくて、生前を詳しく知る方は語って、普段交流のない方も同じトピックを呟いていた。柔らかな別離と惜しみがあった。亡くなると書くより、渡るとか帰るとかそんな言葉を宛てたい。その時の空気が、タモリさんが笑っていいともをやめたときみたいだなって思ったけど不謹慎かと思って呟けなかったのでここで書いておく。 [6回]PR